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枚方

枚方
枚方は江戸時代、京街道の宿場町として、また京都と大阪を結ぶ淀川の船着場として、三十石船やくらわんか舟で賑わい発展してきました。現在、枚方市では「枚方宿」周辺の歴史資源の保存や再生とあわせ、「三十石船」を復活させる取り組みがはじまっています。
  今回は、枚方市で毎年催される「枚方まつり」にあわせ、江戸時代の宿場町の面影が残る街道の散策と三十石船による淀川遊覧、並びにくらわんか花火大会(26日)の観賞など、江戸時代の歴史と賑わいを今に伝える「枚方宿」を訪ねました。


●淀川と街道宿

 交通輸送路としての淀川の歴史は古い。奈良時代にはもう船が行き交い、平安遷都とともに飛躍的に発達。
 以後、江戸時代まで京と大阪を結ぶ水運は、ますます重要なものになっていく。また、川沿いの二つの街道、左岸の京街道、右岸の西国街道も多くの旅人がたどり、宿場町はにぎわいをみせた。今回は淀川岸と京街道・枚方宿を古き日の旅人気分で歩いた。

くらわんか舟と枚方宿
 かつての淀川の水運の主力を担ったのは、三十石船と呼ばれる小型の船であり、旅人にとっての身近な交通手段でもあった。その交通のにぎわいぶりは十返舎一九の「東海道中膝栗毛」にも詳しい。淀川が登場する第6編で、江戸っ子の弥次さん喜多さんが、にぎやかに川を下っていく。
 三十石船の客を相手に、飲み物や食べ物を商ったのが枚方宿の「くらわんか舟」である。京都と大阪の中間地点に位置する枚方は、休憩や腹ごしらえにうってつけの場所だったのだろう。名の元にもなった「飯くらわんか、酒くらわんか、さあさあみな起きくされ!」という呼び声の柄の悪さに、弥次さん喜多さんも驚かされている。また、勘定を「くらわんか焼」と呼んだ茶碗の数で計算したため、こっそり川に投げ捨ててごまかす人もいたとか。淀川資料館に展示してある川底から見つかった多数の茶碗に、当時の船商人と客のかけひきを感じて思わず笑わされる。

東海道五十三次には続きがあった!
   京都⇒伏見⇒淀⇒枚方⇒守口⇒大阪 
 くらわんか舟にゆかりが深い船宿、鍵屋の建物が今も堤防脇に残っている。近世の枚方は淀川沿いの京街道に面して、本陣・脇本陣・寺社・船宿が立ち並び、東海道五十六番目の宿駅としても栄えた。「ここはどこじゃと船頭衆に問えば、ここは枚方鍵屋浦、鍵屋浦には碇はいらぬ 三味や太鼓で船止める」と淀川三十石船歌に歌われ、鍵屋は枚方宿の代表でもあった。
 建築年代が十八世紀と推定される現存の主屋は、当時の形式をよく残し、全国的にも貴重な文化財である。枚方市ではこの船宿を修理、復元して資料館として一般公開している。


●市立枚方宿鍵屋資料館

 「鍵屋」。天正年間(1573〜92年)の創業と伝えられ、江戸時代おおいに栄えた船宿・鍵屋が「市立枚方宿鍵屋資料館」として一般公開(2001年7月3日)されました。
 鍵屋主屋は、旧東海道(京街道)に面し、通り庭、起く屋根など、江戸時代の町家の構造を残す貴重な歴史的建造物。(市の文化財に指定されている)
 歳月を刻んだ格子窓に,摺り揚戸4枚が並ぶ広い玄関。多くの旅人が暖簾をくぐり、まちは活気にあふれていたことだろう。

主屋は摺り揚戸4枚が並ぶ
 鍵屋主屋は東棟と西棟の二棟の建物からなり、解体修理をおこなったところ、東棟の二階根太に「文化八年」の墨書があり、19世紀初頭の町家建築であることがわかりました。西棟は5室と専用の入口からなり、東棟より後に、別の場所から移築したようです。
 東棟は街道に面する表口を入ると東側に3間の客間が続き、広いヒロシキが設けられています。おそらく、客人が船を待つのに使われたようです。
 西側は手前がカマヤ(炊事場)、奥がダイドコロでした。カマヤは、通常家の裏手に設けられます。鍵屋のように表側に設ける例は少なく、煮商売屋などカマドを使う商売をしていた町家に限られます。
 建物正面は4枚の摺り揚戸を設けています。これは現代のシャッターのようなもので、滑車を用いて戸を揚げ、暖簾を架けました。街道に向かって広く開口し、客の出入りが容易でした。
 
 現在、鍵屋と淀川は道路(堤防)によって隔てられていますが、江戸時代は京街道が堤上に敷かれた道でした。鍵屋の所在する三矢村堤町は淀川と京街道が最も近づくところで、家の裏手は淀川に面していました。街道・淀川両側から客の出入りに適しており、街道から入りトオリニワを抜けると、船着場に出ました。


   
主屋東棟・三間の客間(奥から北・中・南)






主屋東棟・トオリニワのヒロシキに腰掛け、ボランティアガイドの説明に聞き入るメンバー
中庭の蔵の前で休憩中、グリーンティーをご馳走に!

別棟・西棟展示室



発掘された枚方宿・鍵屋の歴史・淀川の舟運(ミラービジョン)などテーマ毎に展示している。

くらわんか船(実寸大)
無作法ご免のお墨付きをもらった煮売茶舟として当時、全国に知られました。
柱本(高槻市)が発祥でしたが亀屋源三郎が枚方に移り、地の利を得て大いに繁盛、本家をしのぎ枚方の名物になったということです。
枚方宿と街道(大名行列を再現した模型)

鍵屋の歴史(語り部さんの説明に熱心に耳を傾けるメンバー)
所在地:枚方市堤町10‐27(京阪枚方公園駅下車 西へ徒歩5分)   電話:072−843−5128  


●枚方まつり「くらわんか花火大会」と観賞遊覧船

花火観賞遊覧船の運航
 今回、淀川に花火観賞遊覧船が運航されるまでに幾つかの課題がありました。枚方周辺(花火大会)で、はじめての夜の運航。枚方大橋より上方面は浅瀬が多く水位が足らない等々、安全運航や安全対策の面で課題は山積していましたが、水位については数日前の台風の雨でクリアー(天の恵み)。運航に関しては関係機関や各団体の全面的な協力を得て万全の体制で実施することができました。
 他箇所での花火大会の事故発生からまだ日も浅い時期に、花火観賞遊覧船が運航できたのも、主催者はじめ関係者の熱意と、官民一体となった協力体制を構築できたことが第一にあげられる。

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