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若狭路紀行


若狭路紀行

若狭は古代より朝廷に食材を送っていた「御食国」(みけつけくに)。
若狭では、いつの頃からか小浜を中心に「京は遠くても十八里」と言われ、
あるいは与謝野蕪村が、「夏山や 通ひなれたる 若狭人」(1776年の句)と
詠んでいるように、若狭と京都とは極めて深い関係にあったのです。

近年、運ばれた物資の中で「鯖」が特に注目され有名になったことから、
若狭から京へ至る多数の街道や峠道を総称して「鯖街道」と呼ばれています。
その内、最も盛んに利用された道は、小浜から上中町の熊川宿を経由して
滋賀県の朽木村を通り、京都の出町柳に至る「若狭街道」です。

一汐して若狭から運ばれた鯖が京の都に着く頃には、
ちょうどよい塩加減になったと言われ、
京都の食文化の中に、今も若狭の魚が生きています。

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『海のある奈良』と称される若狭小浜。
古来より日本海を介しての文化交流が盛んでした。

小浜は門前町として栄え、後瀬山周辺に数多く現存する寺社は、
今もなお当時の面影が随所に色濃く残されています。


















【行   程】
(一日目)
赤れんが博物館

舞鶴引揚記念公園

熊川宿

サンピア敦賀(泊)

(2日目)
明通時

神宮寺

鵜の瀬公園

羽賀寺

多田寺

国分寺


●舞鶴引揚記念館&公園

 舞鶴港は昭和20年(1945)10月7日、引揚船第1船として「雲仙丸」を迎えて以来13年間に亘り主として旧ソ連や中国から66万4千人の引揚者と、16,200柱の遺骨を迎えました。
記念館では、終戦時、大陸に残された日本人およそ57万人がソ連へ送られ、その内の47万2千人がシベリアの収容所で、長い年月辛い抑留生活(強制労働)を強いられた様子等を展示、訪れた人々に平和への尊さを語りかけています。
長きにわたり引き上げの町として、最後までその使命を果たした足跡と、戦争の悲惨さを永久に語り継ぐシンボルとして昭和63年(1988)4月に開館。

記念公園展望台からは復元された「平桟橋」が眺望できる。
平桟橋に帰らぬ子を待つ母の姿を歌った「岸壁の母」のモデルとなった「端野いせ」さんの関係資料も多数展示。

●明通寺

 
明通寺略縁起
 延暦のむかし、この山中に一大棡樹(ゆずり木)あり、その下に世人に異なる不思議な老居士が住んでいた。たまたま坂上田村麿公、ある夜、霊夢を感じ老居士の命ずるままに天下泰平、諸人安穏のため、大同元年(806)このところに堂塔を創建し、居士また棡の木を切って、薬師如来、降三世明王、深紗大将の三体を彫って安置したと伝う。
 以来1180年、つねに天下万民の祈願所として、法燈たえることなし。現存の堂塔は鎌倉期に中興頼禅法印の再建にかかり、地方にありながら中央のものにも劣らぬ優秀な密教建築である。
三重塔は1270年に建立、高さ22m、鎌倉期の典型的な古塔、内部に極彩色十二天像を描く。本堂は1258年の上棟。


本堂と三重塔は国宝建築物(福井県にある2つの国宝)




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